長津田・爆弾庫・御幸通り・こどもの国

横浜長津田小学校の側を歩いていたら、知らない老人が話しかけてきました。

「ここ御幸(みゆき)通りっていうの知ってるかい?」

 

「戦前この近くに爆弾庫があって、そこに天皇が視察に行くとき、この道を通ったんだよ」

 

「だからこの道と、大山街道の一部も、御幸通りっていうんだよ」

 

「爆弾庫から爆弾を出して、ここの長津田駅から列車で運んでいった」

 

「戦後、戦争のイメージ一新のため天皇が提案し、そこがこどもの国になった」

 

「今こどもの国の若い守衛に訊いても、爆弾庫だったなんてしらないさあ」

 

「この長津田小学校はかつて古い木造建屋だったんだけど、火事で2回焼けた」

 

「それを聞いた天皇は、鉄筋コンクリート造りを提案し、そうなったんだよ」

 

「俺んちはこの近くにあって、オヤジは腕のいい大工だった」

 

「木材は日陰で乾燥させたので、そらずにまっすぐだった。いい仕事をしたよ」

 

「家じゃ耳の悪いばあさん(妻)相手で面白くないから、こうして出歩いているんだ」

昼の暑いさなか、そのSさんと僕は、歩道で30分も立話をしてしまいました。ほとんどSさんが一方的にしゃべりまくったのですが。

Sさんの話を聞いて、僕はつぎのように思いました。

①世の中にはいろいろな「語り部」がいるが、このような地域版も貴重だ。

 

②老人はヒマを持て余しているので、歴史などを語るという地域貢献に参画できないか。

 

③僕はシャイなので、知らない人に話しかけることが苦手だ。

Sさんのように気楽に声かけできれば、人生の幅が広がっただろうなあ。

物怖じしないうらやましい性格だ。