Case study⑭ 日本海軍の人事に学ぶ Navy personnel

日本海軍の人事の成功事例と失敗事例について、以下の文章を読み、課題を考えてみましょう。

①日本海軍の成功事例5S 見える化 コンサルティング

日清戦争の1年前の明治26(1893)年、西郷従道海相を補佐する海軍省主事として、山本権兵衛は、時勢に遅れて近代海戦に役立たないと見られる、高・中級士官97人の大量人員整理を断行した。

 

さわがれ、怨まれたが、海軍の体質はひきしまり、合理的なものとなり、近代化された。

 

この大量人員整理は、日清戦争と日露戦争の大きな勝利の原因の一つとなった。

②日本海軍の失敗事例5S 見える化 コンサルティング

連合艦隊司令長官の山本五十六は、航空戦が主力になると見て、空母を中心とする機動部隊のトップには専門家である山口多聞少将を起用する計画だった。

 

しかし“年次”が壁となり、トップには、水雷を専門とする南雲忠一中将を起用することになった。

 

南雲は、真珠湾攻撃で、燃料タンクなどへの2次攻撃を認めず、ミッドウェー海戦では、敵の空母が近くにいることを察知できず、虎の子の空母4隻を失った。

③課題5S 見える化 コンサルティング

◇課題1:日清戦争1年前にできた思い切った人事戦略が、太平洋戦争ではできなかったことについて、あなたはどのような感想をもちますか?

 

◇課題2:時勢に遅れて役に立たない管理職は、どんな時代にもいると思いますが、あなたのまわりにもいますか?

 

◇課題3:特に大きな時代の変わり目においては、このような人材は新しい世代に入れかわらなくてはならないと思われますが、今はそのような時代だと思いますか?

 

◇課題4:そのような大きな変わり目でも、適材適所にできなかった太平洋戦争時の連合艦隊は、どこに欠陥があったと思いますか?

歴史に“たら”はむなしいのですが、山本五十六が、信念通り山口多聞を起用し、山口が真珠湾を徹底的にたたき、ミッドウェー海戦で勝利をもたらしていたらと想像をすると、その後の歴史は、がっらっと変わっていたでしょう。

今まさに、そんな大きな歴史の変わり目に、我々は直面しています。太平洋戦争の人事の失敗の教訓を心に刻み、真のリーダーを大胆に抜擢する人事を敢行していただきたいと思います。

もし日本が77年周期で動いているとすれば、次の大変革期は2022年、残された時間はわずかです。

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