大岡昇平の『俘虜記』5S 見える化 コンサルティング
大岡昇平OHOKA,Shohei(1909-1988)に『俘虜記』という小説があります(1948年発表)。「俘虜(ふりょ)」とは「捕虜」のことで、大岡が太平洋戦争末期1945年1月に、フィリピン・ミンドロ島で米軍の捕虜となり、同年12月に日本に帰還するまでの10カ月間の米軍レイテ島捕虜収容所体験を、自伝的小説にしたものです。
『俘虜記』ー印象的な言葉5S 見える化 コンサルティング
つぎのような言葉が印象的です。
・死については既に考え尽くされていた。
・私が既に自分の生命の存続について希望を持っていなかった
・常に死を控えて生きて来たこれまでの生活が、いかに奇怪なものであったかを思い当たった。
・私が俘虜となると共にいかに完全に兵士の心を失ったか
・旧日本軍はその様々な封建的悪弊が兵士に忍苦を強いたから悪いのではなく、悪弊の結果負けたから悪いのである。
などなど、兵士から捕虜になった心の葛藤と移ろいが、率直に書かれていて興味深いので、ぜひ通してお読みになることをお勧めします。
米軍の清潔観の圧倒的勝利5S 見える化 コンサルティング
ここでは捕虜収容所の5Sについて取り上げたいと思います。米国人の5S観と日本人の5S観がぶつかり、結局合理的思考に裏付けされた勝者の5S観が圧倒的勝利をとげた様を、味わっていただきたいと思います。
米軍は我々がただ住居を作るだけではなく、それを彼らの観念の清潔に保つことを要求した。無論彼らの清潔の観念は我々のそれより遙かに合理的であり、大変結構であった。
便所の穴の深さの合理性5S 見える化 コンサルティング
その具体例として、大岡は便所の構造をあげています。
便所は深く掘られた穴(中略)の深さは8尺と規定されていた(8尺=2.64m、正木註)。これは若い蠅が跳び上がり得る限度であり、毎日石油を注ぐことによって、たまたま成虫となり得た蠅も、外へ飛び出す前に必ず殺戮される仕組みになっているわけである。
以下にその関係を図示しておきました。
このおかげで、次のような結果となりました。
便所は中隊地内で最も蠅のいないところであった。日本流の清潔の観念で運営される炊事場の方がずっと蠅がいた。
米軍収容所長の巡視のポイント5S 見える化 コンサルティング
米軍収容所長は毎日所内を巡視しましたが、注意は次の諸点に集中していました。
①屋内の清潔は保たれているか。
通路の清掃、持場の整頓、服装と身躾(みだしな)みの注意(特に髭剃り)。
②食器はよく洗われ、錆びてはいないか。
食器の汚れにより、蠅などを仲介とする病菌の伝播、また錆による中毒も厳重に警戒されている。
③煙草の吸殻が散らばっていないか。
一人で黙々とごみを拾う5S 見える化 コンサルティング
大岡は語学力があったので、米軍と日本人捕虜中隊の間の通訳をしていましたが、「私もまた働きたかった」という理由で、孤軍奮闘次のようなことをしました。
私は吸殻と一緒に地区内のあらゆる紙屑、溝のなかに落ちた残飯のはしくれ(中略)を集めて廻った。バタ屋のように地上の物を挟む道具はなかったので、私は手で拾った。
1等賞という結果に結びついた5S 見える化 コンサルティング
その結果―
1カ月後のわが中隊は1等賞を得た。私の自尊心は満足し、中隊員はピンポンを遊ぶことが出来た。(中略)わが中隊は、収容所の模範中隊となった。
なぜなら―
中隊内の清潔整頓には賞がかけられた。各中隊が地区内の清掃を競い、最優秀者にはピンポン台と道具が与えられるというのである。
インセンティブこそ5Sの命5S 見える化 コンサルティング
なんとこれらは、われらの5S活動のインセンティブとまったく同じではないか、と思いました。5S委員長による定期的な職場巡回(怠る委員長が多すぎますが)、と5S優秀職場への表彰、他職場への横展開と競争心の刺激、基本的にはまったく同じです。
誰もやらないなら、手でごみを拾ってまでも一人でやりぬいた大岡昇平、皆さんはその覚悟を職場でもてますか?