品質管理① 雪印乳業集団食中毒事件から学ぶ

戦後最大の集団食中毒事件から学ぶ5S 見える化 コンサルティング

雪印乳業が起こした戦後最大の集団食中毒事件(2000年6月、大阪、認定患者14,780人)を改めてふり返り、そこから教訓を学びましょう。

❶建屋構造の欠陥5S 見える化 コンサルティング

まず雪印乳業の北海道大樹工場で、2000年3月31日に停電が起きました。下図①②に示したとおりです。ここでまず疑問が生じます。雪になれている北海道で、春先屋根の雪がゆるんで下に落下するのは常識でしょう。

そんな雪(というより氷の塊)が直撃するような真下に、しかも屋根が柔な電気室をなぜ設置したのか、という疑問です。工場設計からしてまちがっていました。正しく設計していれば、雪による停電は避けられたでしょう。

余談ですがこのことは、東電福島第1原発原子炉溶融事故とそっくりです。津波が地下にある予備電源室を襲い、最後の綱をダメにしてしまいました。アメリカではハリケーンを避けるために地下に予備電源室を設けることが常識ですが、設計を担当したGEは「これを変更することはまかりならぬ。変更するなら引き上げる」と日本側を脅し、強行した結果のあまりにも重すぎるツケでした。

雪印乳業食中毒事件(2000年)の原因品質管理 マサキ経営 正木英昭 5Sコンサルティング 見える化コンサルティング

❷検査で異常が発見されたのになぜ出荷したのか?5S 見える化 コンサルティング

数分後に冷却しなければならない「生もの」を、停電とは言え3時間も放置したなら、使えるはずがないというのが常識でしょう。廃棄していればこの事件は起きなかったのです。

しかも出荷検査で明らかに異常が出たのに、製造課長は出張中の工場長に報告しないで、出荷を決定してしまいます。彼は廃棄品を出したことで、上司から叱責されることを恐れたからだといいます。この天災のようなさけられない事故で生じた廃棄品を、誰が叱責できるのでしょうか?(この製造課長は2002年1月に交通事故で亡くなりました)

その後報告を受けた工場長は、汚染粉乳を廃棄処分にした場合や、自分の責任問題を考えて、課長の判断を追認しました(この元工場長は大阪地裁から、禁固2年執行猶予3年の有罪判決を受けました)。

雪印乳業の謝罪広告5S 見える化 コンサルティング

このように会社全体として廃棄品を出すことを忌み嫌い、叱責するという体質がこの事件の根っこにあったのでしょう。雪印乳業は後日(2002年3月24日、朝日新聞)次のような広告を出しました。ここまでふみこんで言うのも珍しいことでしょう。

私たちが犯してきた、悪質な行為の数々。

本当に申し訳ございません。

企業そのものに人格があるならば、

雪印は、感謝という言葉を持っていなかった、といえます。

「自分さえよければ(助かれば)いい」

「すべて他人事。すべて他人のせいにする」

これが今までの、企業・雪印の人格です。

そしてこれが、社員一人一人の中に、

多かれ少なかれ巣くっている悪しき「雪印らしさ」です。

雪印乳業食中毒事件(2000年)の原因と結果 品質管理 マサキ経営 正木英昭 5Sコンサルティング 見える化コンサルティング

大阪工場の無責任体質5S 見える化 コンサルティング

しかし大阪工場も、大樹工場から”毒入りの原料”を受け入れていながら、出荷検査もしたのでしょうが、なぜ安易に製品を市場に出してしまったのかという疑問がつきまといます。

直接の原因ではなかったにせよ、大阪工場のバルブの洗浄ルール違反も表沙汰になってしまいました。バルブは「週1回分解・洗浄する」との社内規定を守らず、実際の洗浄は長年にわたって、バルブの使用後だけだったことがわかりました。

この会社は消費者の安全ではなく、経済性や働く人たちの保身を優先したとしか考えられません。驚くべき無責任体質です。牛乳事業が本体から切り離されて、再出発を余儀なくされたのも当然でしょう。

事件から学ぶ教訓5S 見える化 コンサルティング

この事件から学ぶべき我々への教訓は以下の通りです。

①工場設計の段階までふみこんで、安全性を追求する。

特に非常用をふくめた電源装置は、その可動を脅かすあらゆる要因を取り除く。水没したら、火災にあったら、地震にあったらなどは必須検討事項。

ここまでで留めておきましょう。企業体質の教訓もありますが、重すぎてとりあげる気にならないからです。あしからず。皆さんご自身でお考えください。