縄文の村展示センター
多摩センター駅から徒歩5分のところに、「縄文の村展示センター」(都立埋蔵文化財調査センター)があります。ここはほとんど無休でしかも無料、ありがたいです。
1966年から、多摩ニュータウンを建設するに当たって発掘調査を行ってきた出土品が展示されています。縄文遺跡の数は964にもなります。下の写真左側がその入口です。
日本唯一の黒曜石製勾玉
上の写真右側は、珍しい黒曜石製の勾玉です。その説明文を以下に転記しました。
日本各地で見つかっている石製の勾玉の多くは、ヒスイや滑石などを加工して作られています。
しかし、この勾玉は天然ガラスである黒曜石で作られており、全国でも唯一の非常に珍しい資料です。
確かに私の見た勾玉の多くは、ヒスイ製やせいぜい瑪瑙製だったのですが、黒曜石製がここだけとは! それはおそらく、この多摩丘陵は、神津島産の黒曜石がたくさん入ってきていたので、鏃(やじり)や刃物以外の装飾品に回す余裕があったからではないでしょうか。
関東の縄文遺跡からは、たくさんの神津島産の黒曜石が見つかっています。多摩ニュータウンから出土した黒曜石656点のうち、約65%が神津島産でした。縄文人は陸のルートだけではなく、神津島からの黒曜石物流ルートも確立していたのですね。
オオツタノハ製貝輪
また貝輪として使われたオオツタノハは、三宅島より南の波の打ちつける荒磯でしたとれません。その貝殻でつくられた腕輪(貝輪)は、縄文時代から珍重されてきました(下の写真)。
三宅島のココマ遺跡は、弥生時代中・後期(約2,000年前)の遺跡です。オオツタノハ製貝輪の生産・流通に携わる三浦半島の人々が、漁期だけやってきて、沖の岩場で貝をとるためのキャンプ地だったと考えられています。
このようにして、オオツタノハも、縄文時代から物流ネットワークが確立していました。単なる女性のおしゃれとしての装飾品だけではなく、男女を問わず、呪術・先祖・神霊との交流に欠かせない祭具でもあったのではないでしょうか?