太平洋戦争五つの誤算② 勝てない戦争をするな

①拙速な戦争準備での開戦

奥宮正武氏(1909-2007)のいう「太平洋戦争五つの誤算」は、以下の通りと前回申し上げました。その一つ一つを見ていきましょう。今日はまず「①拙速な戦争準備での開戦」からです。

①拙速な戦争準備での開戦

 

②総合戦力発揮への努力の不足

 

③条約無視の「戦陣訓」の制定

 

④大陸作戦偏重の陸軍軍備

 

⑤航空戦力誤信の海軍作戦

軍人という支配階級がやらかした戦争の犠牲者

戦争(国家間のケンカ)とは、勝つためにやるものだと思います。負けると分っていて戦争をやるバカはいません。しかしそれをやってしまったのが、太平洋戦争の日本だったということになります。

軍人を”武士”だと仮定すると、自分たちの意のままに国民という庶民を駆り立て、自分たちの意地と誇りを貫き通した支配階級、とも言えるでしょう。そのために払わされた犠牲はあまりにも巨大でした。

この戦争に動員した将兵は608万5千人で、戦死者(行方不明者を含む)は256万5千人でした。死亡率は42%です。その他にも32万6千人という負傷者を出しています。

わたしたち団塊の世代が子どものころ、主な駅には負傷した元兵士(傷痍軍人)が、アコーディオンなどを弾きながら寄付を募っていたものです。なかには足を失った松葉杖姿の人もいました。

軍人・奥宮正武の限界

奥宮正武氏の『太平洋戦争 五つの誤算』(朝日ソノラマ)は、私の信頼する愛読書ですが、エリート職業軍人であった奥宮氏はつぎのように書いています。

あの戦争の最後の1年間、戦争が続けられたことは、その間の犠牲が計り知れないほど大きかったにもかかわらず、長い目で見れば、その後のわが国のために大いに役立った、ということができるかもしれない。

ああこれが職業軍人の限界なのかなとがっかりしました。これらの「犠牲が大いに役立った」などと、どの面下げて言えるのかと。

あの東京大空襲などの日本各地への爆撃、米軍沖縄上陸作戦にともなう膨大な民間と軍人の犠牲、そして広島・長崎への原爆投下。悲惨な満州引き揚げ者の苦難なども含まれます。

結局軍人たちにはこの戦争を止められず、さんざん天皇の平和志向の意向を踏みにじりながらも、降伏宣言だけは抵抗できなかったというていたらく。

敗戦1年前にギブアップしてほしかった

私は、歴史にイフは禁物と重々知りながらも、つぎのようであったらと空想します。

太平洋戦争の第3期(昭和18年7月上旬~19年7月上旬、防戦一方)末に行われたマリアナ沖海戦(昭和19年6月19~20日)で完敗した後、ギブアップしていたならばなあと。この戦いで、日本の空母機動部隊の再建が不可能になったからです。

そうなればそもそも敗戦後いまも続く、アメリカの属国という位置づけにはならず、独立国としての尊厳を維持できていたことでしょう。いまもアメリカや米軍にはたてつけないのです。その忠実な手先が、吉田茂に始まる自民党ということになります。

ギブアップもしようがない日本のていたらく

しかしそのギブアップすることができなかった日本の事情を奥宮氏はつぎのように述べています。

❶わが国には、大戦争を行うのに適する国家機構が整備されておらず、国論を代表して、天皇を補佐できる人物がなきに等しかった。つまり大戦争を行う器量に欠けていた。

 

❷わが国は、開戦前にすでに、半ば以上も敗れていた。

 

❸長期的な定見をもたない指導者が多かった。

 

❹自国の固有の国力をよく認識せず、それを軽視して、不備な軍備のままで希望的観測の下に、わが国の運命を左右する重大な決定がなされてしまった。

 

❺わが国には、太平洋戦争のような大戦争を行う資格に欠けていた。

 

❻もともと日本軍には、太平洋戦争を有利に進めることができる能力がなかった。

よくもこんな国力、能力・器量で軍人たちは、あの大戦争をおっぱじめたものだと、あきれはてます。ここで将来的にも、我々日本人にとって、大事な教訓があります。

教訓①:勝てない戦争をするな。

これはもちろん、戦争だけではなく、ビジネスにも恋愛にも、何事にも共通する教訓です。つまり、「勝てないビジネスはするな」「勝てない恋愛はするな」ということです。人生は「勝てる戦いだけをしなさい」ということです。

それではあまりにも、現実的すぎて夢がない。理想を実現するとか、努力代をもっと認めていいのではないか、死に物狂いでやってようやく手が届くことに挑戦するのはどうなのかとか、議論が百出しそうです。

しかし私が思うのは、もっとも自分にとって大事なことは、努力しないでも(したつもりはなくても)いつの間にか手に入っています。無理な背伸びはかえって人生を暗くします。最も大切なことは、「魂の奥底の望みは、努力の如何に関わらず、必ず手に入る」ということです。

わたし自身の人生がまさにその通りでしたし、みなさんお一人お一人の人生も例外なくそうなっています。もっとも大事なことは、「魂の奥底の望みを知る]ことです。